お知らせ
本校史年表 (四期) | |||||
本校史 | ◆70・80・90周年記念誌 より抜粋 ○生徒会誌 からたち より抜粋 ◇P新聞いしずえ より抜粋 ●稚松会だより より抜粋 | 社会の動き | |||
◆「本校は平成9年、白河女子高校が男女共学化、1期生360名(男子110名・女子250名)が新たな制服をまとい入学いたしました。入学当時の白河旭高校は、当然の事ながら2・3年生は女子高時代の先輩ですので、男子は全体の一割程でした。”とまどい”。この一点が男子生徒達の当時の姿でしたので、男子生徒だけの学年集会を二度程実施しました。中身は、新しい歴史を築く男子生徒としての立場、やるべきことについて学年の先生方からのアドバイスでした。とても和やかに展開し、その後ヤル気を出してきた男子生徒の姿に幾度となく感動を覚えたものでした。」井上忠道(一期生学年主任) | |||||
平成 | 9 | ・校名変更、福島県立白河旭高等学校となり、男女共学になる | |||
・白河旭高校 後援会発足 | |||||
・旧白河測候跡地及びその関係施設を引き継ぐ | |||||
◆「野球部に最初に集まったのは10名。他野球部からボール、バット等お古の道具を寄付していただき、何とか活動を開始しました。(中略)本当に野球が大好きで、びっくりするほどの素直さでがんばり続ける彼らに、私自身どれだけ励まされたことか。2年目の夏、考査で練習が休みの夕方6時頃、グランドでひとり黙々と草刈りする大人の姿。それは当時の監督、小松俊夫さんでした。〝野球は楽しくやろう。頼まれてする練習ならしなくていい〟。小松監督はよくグランドで話しをしていましたが、こんな日常の見えない行動と言葉の端々から伝わる彼の男らしさが、先輩のいない一期生たちに『硬式野球部とは何か』を教えていきました。」鑓水実(創部野球部監督) | |||||
10 | ・後援会よりハナミズキ植栽/学校案内標識寄付受納 | 長野冬季オリンピック開催 | |||
・白河旭高等学校、第一回卒業式挙行 卒業生378名 | |||||
・LL教室、更衣シャワー室、和室 改修 | |||||
・新図書館 完成 | ◇「私達三年生は”最後の白女生”と言われながら、旭高生として卒業しますが、私は白河女子高校と書かれた卒業証書を手に、白河女子高生として卒業したいと思っています。」小林真梨子(平11卒) | ||||
◆「練習以前に、まずはお借りしたグラウンドを自分たちで草を刈り、固い土を耕すところから始めました。毎日日付が変わるまで練習をし、耐えられずに去っていった部員もいました。2年になり新入部員も入部して、ようやく野球ができる環境が整いましたが、試合をする度に負ける日々が続きました。時にはくじけそうになりましたが、一生懸命練習をしました。」五十嵐正史(平12卒) | |||||
11 | ・旧白河測候所跡地造成工事竣工 | ||||
・防球ネット 工事竣工 | |||||
◇「私たちは旭高一期生として入学し、周囲からも大きな期待が寄せられました。様々な行事を通して白女の伝統を肌で感じ、それを模倣するのではなく、模索することで自分たちの方向を定めてきたと思います。このような節目の時期に白河旭高校で過ごせたことを誇りに思います。」斎藤舞美(平12卒) | |||||
12 | ・武道場 竣工 | ○「一年間の活動で一番印象深かったのは、山岳部に男子が入部して3年目にもかかわらず、県大会で最優秀パーティーに選ばれ、インターハイ出場を成し遂げたことです。」山岳部 | 三宅島噴火 | ||
シドニーオリンピックで高橋尚子が女子マラソンで優勝 | |||||
◇「我々、男子バレーボール部は創部2年目となり部員の数も増え、活気が出てきました。県南新人戦では、初出場にもかかわらず、優勝という快挙を成し遂げることができました。しかし、高体連では自分達の力が発揮できず、己の未熟さを知らされました。我がバレー部の個人の能力は高い!張り詰めた戦いを体験し、チームとしてまとまれば、どこにも負けないバレー部なるはずだ!」木村学(平13卒) | |||||
本校史 | ◆70・80・90周年記念誌 より抜粋 ○生徒会誌 からたち より抜粋 ◇P新聞いしずえ より抜粋 ●稚松会だより より抜粋 | 社会の動き | |||
平成 | 13 | ●「私たち科学部は、環境の浄化についての研究を行っていたが、南湖のような大規模な環境の浄化の研究とは違っていた。そこで、私たちは新しい浄化方法を見つけ出さなければならなかった。その条件は、低予算、易維持管理、環境への無悪影響の三つだ。その条件を満たしたものが炭素繊維だった。我々は”南湖公園を考える会”の協力をもとに研究データ取得用ミニプラントを設置した。」研究成果をまとめた論文で日本学生科学賞県コンクール 県知事賞受賞(平13) | 米で同時多発テロ | ||
●「”からたち祭”が6年ぶりに開催されました。大規模校舎改築のため前回見送られたため、男女共学になって初めての文化祭となりました。市内を仮装行列でパレードしたり、校内で27の各クラス、18の部活動や委員会の展示や発表を公開しました。」(平13) | |||||
14 | ・募集定員320名(8学級)となる | 北朝鮮拉致被害者帰国 | |||
・プール更衣室 竣工 | ◇「今年度から学校での土曜日の授業がなくなりました。子どもたちの将来のために、”ゆとりの生活の中で生きる力を育む”ことが必要であるとの考えに基づくものです」畠山煕一郎(14年度校長) | 日韓ワールドカップ 開催 | |||
○「〝今年の1年生の遠足は、りんどう湖〟と聞いた瞬間、自分の耳を疑った。まさかこの年で牛やポニーと戯れるなんて・・。だが現地に行ってみると、牛の乳搾りに快感を覚える人、ソフトクリームに幸せを感じる人、なぜか牧場にいるのにバズーカにはまる人と、みんな程よく弾けて楽しんだ。バーベキューでは、日頃味わえないひと味違った食事ができ、笑顔が絶えなかった。」遠足記より | |||||
15 | |||||
◇「書道の良さは、白と黒の中でのバランスを表現する楽しみにあり、そこに興味深いものがあります。」佐藤咲(平16卒) | |||||
○「ブラジルに交換留学している鈴木陽子さんから、ブラジルは貧富の差が激しく、着る服さえ困る人もいるのでクリスマスプレゼントとして古着を送ってくれえないか、という呼びかけがあり、インターアクト部やJRC委員会とともに、全校生徒に呼びかけ古着と文房具の寄付を集めました。」生徒会 | |||||
16 | ・創立90周年記念式典 挙行 | 愛知万博開催 | |||
・稚松会が「歴史資料展示ケース」を学校に寄贈、除幕式を行う | アテネオリンピック | ||||
◇「カメジャーでのダンスパーティーは今年で最後となりました。来年からは新ジャージだけのダンスパーティーになってしまいます。それはそれで新時代の象徴になるのでしょうが、何か物足りない気もします。」熊田英希(平17卒) | |||||
本校史 | ◆70・80・90周年記念誌 より抜粋 ○生徒会誌 からたち より抜粋 ◇P新聞いしずえ より抜粋 ●稚松会だより より抜粋 | 社会の動き | |||
平成 | 17 | ・募集定員270名(7学級)となる | ●「バドミントン男子シングルス優勝決定戦は、1時間以上かかる長い試合でした。プレーしながら自分では勝てる気が全くせず、ただ目の前のシャトルを追い続けました。3セット目のファイナル、長い勝負が終わり、気がつくと優勝、無意識に仲間の方にガッツポーズをしていました。」池田智明(平18卒) | ||
●「静岡国体(水泳競技)では、普段ライバルとして競いあってきた選手たちと、仲間として出場したことがとてもうれしくて、全員で上位入賞を誓いあいました。」内山和也(平18卒) | |||||
18 | WBCで王ジャパン初代世界一 | ||||
●「インターハイのリベンジの舞台と位置づけた国体(少年B走高跳)へ懸ける思いは熱く、良い意味での緊張感をもって試合に臨みました。雨という悪条件でしたが、逆に雨の音でジャンプに集中することができ、着実にバーの高さを上げていくことができました。結果、大会新記録で初の全国制覇を成し遂げることができました。」佐藤傭兵(平19卒) | |||||
19 | ◇「(カナダホームステイ研修で)始めは、自分の英語が通じるのか不安でしたが、どんどん話していくうちに、教科書に載っているようなきっちりとした文じゃなくてもいいんだ、と自信がもてるようになりました。」佐藤静香(平20卒) | ||||
郵政民営化 | |||||
●「国体陸上競技少年男子B200Mは、昨年の中学3年の時にも出場し、惨敗した種目でした。高校1年と中学3年で構成されるこの種目は、高校生の意地のようなものがあり、今回の私にもその思いがあり、「昨年負けた屈辱を晴らす。」という思いで臨みました。試合では気持ちだけは誰よりも勝っていたと思います。その結果、優勝し最高の目標を達成できました。」田嶋和也(平21卒) | 中越沖地震 | ||||
20 | ・募集定員240名(6学級)となる | 北京オリンピック | |||
○「右も左も顔見知り。半ば貸し切り状態の遊園地。そんな体験は今回の遠足で最後だと思います。正直乗り気ではなかった遊園地も、着いてみるとその雰囲気に飲み込まれ、結局疲れるほど乗り物に乗りました。遠足が終わったら受験かぁ、と思いながらペダルを漕いで、受験が終わったら卒業かぁ、と思いながら絶叫していました。」小椋佳奈(平21卒) | リーマンショック | ||||
21 | 米国初の黒人大統領誕生 | ||||
◇「僕は今年の夏、11日間のオーストラリアホームステイ研修に参加しました。現地に到着した初日は、動物園や市内を見学し、二日目にホストファミリーと対面し、それ以降一緒に過ごしました。この研修を通して、英語だけではなく他国の文化や自然も学ぶことができました。」加藤賢大(平22卒) | |||||
裁判員制度開始 | |||||
22 | ◇●「夏休みにJRC活動の一環としてフィリピンへ研修に行きました。そこでは、貧しい地域で暮らす人々への給食ボランティアを行いました。このとき私は教育格差の問題に注目していたので、この機会を利用して日本とフィリピンの小学生を対象にアンケートを行いました。その回答をより多くの人に伝えたいと考え、論文にまとめ朝河貫一賞に応募し、最優秀賞を受賞しました。」坂本美波(平22卒) | ||||
探査機「はやぶさ」帰還 | |||||
本校史 | ●稚松会だより より抜粋 ◇P新聞いしずえ より抜粋 △スポーツニッポン福島版 より抜粋 | 社会の動き | |||
平成 | 23 | ・東日本大震災により第一体育館が使用不能になるなど、大きな被害を被った。生徒、教職員の被害なし | ◇「この震災を、私は自宅で母と経験しました。福島県は地盤が強いと聞いていましたし、いつもの様になんとなく母と共に揺れ始めたテレビをおさえ立ち上がっていました。揺れが収まり、部屋を見渡すと全ての家具は動き、家中のものが散乱し、歩ける場所もありませんでした。電気は止まり、水道は出ず初めての経験。今までの生活がどれだけ幸せだったのかと心から思いました。」岩科昌志(平23卒) | 東日本大震災 | |
・募集定員200名(5学級)となる | サッカー女子W杯優勝 | ||||
【東日本大震災】 | ●「今年のダンスパーティーは、校庭の放射線濃度が高かったため、夏に延期して行われました。夏の太陽よりも輝いていたみんなの笑顔が印象的でした。」蜂谷哲朗(平23卒) | ||||
第二体育館緊急災害工事 竣工 | 地上デジタル放送完全移行 | ||||
グラウンド擁壁・防球ネット緊急災害工事 竣工 | ◇「女子バスケットボール部はインターハイに行くために、まずは服装、あいさつ、生活態度を見直し改善していこうと、意識を高く持ち続けてきました。東日本大震災により学校の体育館が使用できず、近くの小学校や市民体育館などの施設にお世話になりながら練習を重ねてきました。」塩澤奈津美・伊藤早耶香(平23卒) | ||||
放射線低減対策工事 (花壇表土入替、側溝洗浄、雨樋付近表土入替など) | |||||
◇「インターハイでは途中で失速してしまい、予選通過できず、悔しい思いをしたので、国体で絶対にリベンジするという気持ちと、震災や原発という暗いニュースのなか、少しでも明るい話題をという思いから、『ふくしま』を胸に刻まれたユニフォームは重く感じました。国体では集団にくらいつき、4位入賞することができました。」管野智文(平23卒) | |||||
◇「東日本大震災があり、一ヶ月以上納得のいく練習ができず、不安を募らせていました。しかし仲間たちと、わずかながらの時間を集中しお互いに励ましあうことで、様々な困難を乗り越えることができました。この(県高体)個人優勝はみんなで勝ち取った優勝です。」河内直樹(平23卒) | |||||
24 | 【東日本大震災】 | △「(女子バスケットボール部は、プレーヤー7人でウインターカップ県優勝)7人だと練習試合でも全員Aチームで試合に出ずっぱり。初めはきつかったですが、今は当たり前で違和感はないです。」井澤由佳(平24卒) | |||
図書棟(1F図書館/2F美術室)解体工事 竣工 | 東京スカイツリー開業 | ||||
格技場わき囲障災害復旧工事 竣工 | ◇「団体でのインターハイの出場を決めたとき、本当に嬉しくて、私はみんなといっしょにうれし涙を流しました。それまでの道のりは本当に苦しいものでした。試合をやっても勝てない日々が続き、その焦りでチームがバラバラになり、部長を務めていた私はどうすればよいか悩みました。」五十嵐隆光(平24卒) | ||||
ロンドン五輪 | |||||
山中伸弥ノーベル賞受賞 | |||||
25 | ・募集定員200名(5学級)となる | ●「美術部では、夏休みほぼ毎日文化祭のアーチ製作に取り組みました。何枚もの板を分割し、つなげて作る巨大なアーチは下絵の段階で大変な苦労がありました。アーチの設置は文化祭が数日後にせまる雨の中の作業でした。途中雷が鳴り、作業を中断しながら作りました。」今井彩希(現3年生) | |||
【東日本大震災】 | |||||
北校舎及び特別教室棟(図書館/美術室)竣工 | |||||
26 | ・創立100周年記念式典 挙行 | 消費税8%に | |||
・100周年記念式典/講演会 記念事業(校門設置・記念誌) |