お知らせ
郡立白河高等女学校 大正10年
本校の最初の校章は、大正10年に作成されました。三種の神器の一つで女性の象徴である八□の鏡(やたのかがみ、たは尺に只)に、白河藩主松平定信の久松松平家の家紋「松本梅鉢」の梅を配し「高女」と書かれたデザインでした。
 これは、バンドのバックルになっていて青や茶の兵児帯の上にも外出の時には必ずつけて街を歩いたという、制服制定以前から本校生の誇りでした。色は白銅色で統一され、バンドの色はエンジに白でした。

県立白河高等女学校 昭和9年
二番目の校章は、昭和9年に生徒の要求によって図画の高橋先生と美術クラブの生徒たちが考案したものでした。梅が桜に、「高女」が「白高女」と変わりました。当時の生徒たちは乙女らしい校章である」と喜んでいたそうです。

県立白河女子高等学校 昭和23年
三番目の校章は、昭和23年に新制の女子高等学校となったのを機会に考案されました。当時、本校の美術教諭だった熊田猛夫先生が、その頃としては珍しい角形の校章を考案されました。「女高」の文字は紅で青春の情熱の色を、地は緑で平和や女性のもつ穏和さを、星は北極星で我々の理想を、三本の波は白河の清き流れをそれぞれ表現しています。そして、清純なる乙女の心を表す白色で全体を引き締めたものだそうです。当時の生徒は、「他の女子高校生徒に自慢できる校章で、白女のエリート意識をくすぐるようだ」とデザインに誇りを持っていたようです。

県立白河旭高等学校 平成9年
四番目の校章は現在も使用されており、平成9年、本校が男女共学となり校名が現在の白河旭高等学校に変更になったことに伴って制定されました。
基本的には3番目の校章の持つ教育の理想を基本にすえて「女」の文字を新校名の「旭」に置き換えました。
男女共学になっても白河高女、白河女子高の伝統や教育の理念を継承しそれをさらに発展させる意味がこの校章には込められています。