2020年8月の記事一覧

8月15日に・・・

 本校正面玄関左側に、「乙女の像」と呼ばれる像が建っています。本校生の皆さんは、いつも見慣れているため、あまり気に留めることはないかも知れません。

 この「乙女の像」には、「想」(おもい)という碑銘が付けられています。

 「乙女の像」は、昭和60年(1985年)に行われた本校創立70周年記念事業の一環として、当時日展評議員をされていた彫刻家の佐藤静司氏が制作し、本校同窓会稚松会(ちしょうかい)より本校へ寄贈されたものです。

 そして、この「乙女の像」は、ある願いが込められて建立されました。その願いは、像の右側にある石碑に刻まれています。

 「乙女の像『想』は、本校の今日を築かれた先人への感謝と、昭和20年4月12日保土ケ谷化学郡山工場において、学徒動員中被爆し亡くなられた本校生14名を含む物故者に鎮魂の祈りを捧げ、更に世界の恒久平和と本校の一層の飛躍発展を記念し建立したものである」

 第二次世界大戦の戦局が悪化した昭和19年(1944年)7月から、深刻な労働力不足を補うために学徒勤労動員が強化され、福島県では、中等学校の上級生は男女を問わず京浜工業地帯へ、下級生たちは県内の軍需工場へ動員されました。

 本校の前身である白河高等女学校の女学生160名も、当時郡山市にあった保土ケ谷化学工場において、4エチル鉛という航空燃料のハイオクタン価剤の生産にあたることになりました。親元を離れての連日の辛い仕事に涙を流したり、作業に使う鉛により病気になる女学生もいたそうです。

 そして、昭和20年(1945年)4月12日、当時の米軍の大型爆撃機B-29 169機による郡山空襲があり、各軍需工場だけでなく一般市民も含めて、514名が犠牲になりました。保土ケ谷化学工場では204名が亡くなり、その中で、白河高等女学校の女学生14名の尊い命が奪われました。15歳の春のことだったそうです。

 8月15日(土)は、75回目の「終戦記念日」でした。実際に戦争を体験した人々は高齢化し、「戦争の語り部」は年々少なくなってきています。しかし私たちは、悲惨な戦争の実態を語り継いで決して忘れず、二度と戦争を繰り返してはならないと思います。

 本校生の皆さんには、改めて「乙女の像」を眺めて、それぞれが戦争や自分たちの未来について考えてみて欲しいと思います。